幻の地酒 万里春(バンリノハル)

大阪府の南東部 富田林は江戸時代から明治時代にかけて酒造業が盛んに行われていました。今でも江戸時代の酒造業で栄えた商家の町並みが残り、多くの酒蔵や米蔵が立ち並んでいます。昭和57~58年(1982~83年)頃までは、「万里春(バンリノハル)」と呼ばれた地酒が石田家で製造されていました。当時は近鉄富田林駅のこげ茶色のペンキで塗られた木製ベンチに地元のお酒の宣伝が出ていたことを思い出します。当時通勤や通学の行き帰りで、このベンチをご記憶の方も多いことでしょう。


写真は近鉄長野線の終点・河内長野駅ホームに今も残る地元銘酒「天野酒」の看板と木製ベンチです。 これと同型・同色の木製ベンチ(「万里春(バンリノハル)」が富田林駅にも置かれていました。(2004年5月7日撮影)

酒造業を最後まで続けておられた石田家(万里春酒造)は、杉山家(重要文化財・旧杉山家住宅)や仲村家(大阪府指定有形文化財・仲村家住宅)から酒造株を分与されて明治時代に近隣の東板持(ひがしいたもち)から富田林寺内町に移り住んだ造り酒屋です。杉山家から江戸時代の酒蔵が移築され、昭和51~52年頃まで残っていたものの建物の傷みが激しくなり取り壊されています。

 
写真は石田家(万里春酒造)の酒蔵です。(富田林寺内町)

地元酒造業は、昭和初期の経済恐慌の前後に多くの蔵元が廃業していった中で、石田家は戦中・戦後も地元で唯一の造り酒屋でした。戦中期には軍需用貯蔵タンク工場として使用されたこともありました。甘口の地元銘酒として「万里春」(バンリノハル)を製造し、南河内一円を中心に大阪市内でも販売を続けてこられた蔵元でしたが、昭和57~58年頃に残念ながら廃業されました。

当時の酒造では、「山田錦」など北陸産米や近江の「五百万石」をはじめとした全国の酒造米を原料として使用し、但馬地方出身の杜氏や蔵人が毎年11月から翌年4月始めまで冬場の期間に仕込みに携わったそうです。戦後の最盛期には年間生産量2千石(一升瓶換算で20万本相当)を数え、桶売りでは京・伏見の「月桂冠」などにタンクローリーで卸していたそうです。

地酒ブームが再来するたびに、今では幻の酒になってしまった富田林寺内町の地酒「万里春」を思い出します。どなたかこのお酒の味わいや思い出をお話頂ける方がおられたらご寄稿願えたら幸いです。


 写真は石田家(万里春酒造)からご提供頂いたラベルです。

2006年5月28日
「富田林寺内町の探訪」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~heritage/

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